筑前黒田武士の江戸日記

~奇数月の第1土曜日に更新~

vol.52 矢野六太夫

 昨年の福岡旅行の折に見つけた「五龍日記」が興味深い。著者は福岡藩儒者であった柴田風山(但し諸説あり)。藩政批判をして流罪となった人物である。6年ほど前に宮若市古文書勉強会の方たちが翻刻されていたのだが、福岡市総合図書館の郷土特別資料室で、今回はじめて目を通した。

 この「五龍日記」には、矢野六太夫幸徳のことも書かれていた。黒田忠之の行列が橋のたもとで泣いていた赤子に行き合い、忠之の命で近習の矢野九郎右衛門が養育したらしいが、この赤子こそが矢野六太夫。後に取り立てられ出世し、子孫は代々3,200石の高禄で中老に列している。赤子には「井上内記子」と書かれた札が添えられていたが、機転を利かせた九郎右衛門は、それを忠之には伝えなかったという。 

 井上内記は黒田家の重鎮井上九郎右衛門(周防之房)の子で、家老だったが、忠之により改易処分となっていたのである。後に一人の老女が六太夫を訪ね、内記の妾であり六太夫の母であることを明かすも、感動の再会も束の間、立派に成長した息子を見届けた老女は、処分された者の一族であることが知れて累が及ばぬようにと自害。泣き崩れた六太夫は邸内に埋葬し、子孫は稲荷大明神として祀ったのだそうだ。史実なら、まるでドラマのような話。 

 以前にコメントをいただいた方から、井上内記の子が矢野家の養子になっている旨のご教示を受けたが(vol.06 中老の矢野家)、こんなエピソードもあったとは。幕末、我が家には矢野家のご子息(矢野梅庵の弟)が養子に来るも、家老の家の子に格下の我が家は合わなかったのか、離別している。そのまま我が家で家督を継いでいたら、自分も六太夫の子孫か。などと歴史のイフを考えながら、このドラマの主人公に親しみを感じた、そんな新発見であった。