筑前黒田武士の江戸日記

~隔月で第1土曜日に更新~

vol.64 剣術

 少年の頃にやっていた剣道を再開。今更ながら初段をとった。黒田武士たるもの剣術に精を出さねば、というつもりでもないが、なかなか良い運動になる。10年続けているフットサルではだいぶ年長者となった私も、平均年齢が高めの道場ではなんと若手扱い。熟練の先輩方を見習いながら、歳を重ねても長く続けていけたらよいなと思う。

 我が家の先祖は剣術の方はどうだったのだろうか。五代前の当主が残した記録を見てみたら、三宅太左衛門に入門した旨が記されていた。この人は分限帳によると「家業」に属する家柄で知行100石。「黒田家譜」には「(藩主が)師として剣術を学ひ給ふ」とあり、新陰流の達人だったようだ。藩お抱えの専門家のような人が、藩士の子弟の指導にもあたっていたのだろう。

 一方で四代前、私の高祖父にあたる当主は、林斉宮に入門した旨の記録を残している。この人は480石の馬廻組で、「家業」のような専門家の家筋ではないようだ。少し意外な気もしたが、剣術といえば武士の本分。サラリーマン藩士にも剣の達人はいたのだろう。高祖父(養子)の実家のお隣さんというご縁もあったのかもしれない。

 「綱領」によれば、林斉宮は戊辰戦争に官軍として従軍していたようで、その肩書は「銃隊司令官」。剣の達人が飛び道具の司令官とは、ご本人も複雑な思いがあっただろうか。剣で戦う時代は終わったが、今はスポーツとしての剣道がある。なにか、先祖とつながっているような気持ちにもなる、そんな週末の稽古通いである。