筑前黒田武士の江戸日記

~隔月で第1土曜日に更新~

vol.69 英国艦隊の福岡来訪

 丸善の日本史コーナーで、『秘蔵古写真 幕末』という新刊が目に入った。日本カメラ博物館所蔵の古写真から、幕末の人物を中心に収録したという写真集。しばらく立ち読みしていたら、なんと黒田長溥長知父子が並んで椅子に座っている写真が出てきた。慶応2年(1866)、イギリスの軍艦プリンセス・ロイヤル号での撮影との由。両殿様とも明治になってからの写真はよく知られているが、殿様であった時代の姿は初めて見た。

 福岡での撮影と考えて、間違いないだろう。『綱領』には、慶応2年の12月20日、「英国軍艦四隻、筑前の海岸測量の為、博多湾に来る」との記録がある。翌日には「公(黒田長溥)乗艦、英将アドミラールに御対話」されたそうで、このときに撮影されたのではなかろうか。その翌日には「公、箱崎にて英将を饗応し、余興に能楽の催し等あり」。英将は「公の厚遇を感謝し、歩操訓練を公の覧に供」したという。

 当時の様子は、『見聞略記』を読むと、より明瞭になる。英側から披露された調練には、「家中の諸士残らず御見物にて、調練の様子いずれも感心致され候」、「近辺の人民、諸家中諸士の蔭より見物群衆、誠に珍しきこと」だったそうだ。鹿狩りも催され、「当国は山崎権太夫殿・大音殿二、三人」が参加、「大将分なるアトミラルといふ者杯も三、四疋打ち留め候」と、現代の接待ゴルフのような感覚だろうか。「万事の入財おびただしく費相立ち申し候」ともあったが、藩をあげての一大イベントだったと言える。

 7日間滞在した来訪者側の感想はどうか。『長崎海軍伝習所の日々』が参考になる。同行したオランダ人カッテンディーケの回想録。彼によれば、「お供もなく散歩しても、また馬で乗り回しても、少しも制限を受けないで、全くの自由が与えられたので、福岡逗留を我々は非常に気に入った」(訳文)そうだが、「女子は美人で聞こえている。たぶん奥地ではそうであろうが、町ではその名声は当たらない」との辛口評も。太宰府への馬の遠乗りや、鋳鉄・製銃・硝子・絹糸の各工場の見学にも招かれている。長崎伝習所で交流のあった福岡藩士宅に宿泊し、歓待を受けたオランダ人水兵もいたようだ。

 カッテンディーケいわく、「此処には、まだヨーロッパ人は一度も来たことがないらしい」。そんな歴史的な出来事も、当時の両殿様の写真を見たら、そう遠くはない過去のようにも思えてきた。「この旅行は、筑前侯のかねての望みにより、以前から計画されていた」というが、少し硬い表情にも見える両殿様、はたしてどんな感想をお持ちになったのであろうか。