筑前黒田武士の江戸日記

~隔月で第1土曜日に更新~

vol.09 徳島城

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 先月はじめて徳島を訪れた。蜂須賀氏25万石の城下町。「黒田家譜」によれば、天正12年(1584)、黒田長政蜂須賀正勝(当時播州龍野城主で徳島転封はその翌年)の娘糸姫を妻に迎えている。慶長5年(1600)に徳川家康の養女栄姫と再婚しており、それまでに「故有て離別」したようだが、2人の間に生まれたお菊は、黒田二十四騎の一人である井上之房の次男庸名(5千石の幕府旗本となるも後に無嗣断絶)に嫁いでいる。

 13代徳島藩主の蜂須賀斉裕は将軍徳川家斉の実子であるから、家斉の実弟である9代福岡藩主の黒田斉隆は叔父にあたる(ただし斉裕の生年は斉隆の没後)。また明治以降の当主である蜂須賀正氏は、鳥類学者として活躍した黒田長礼(最後の福岡藩主黒田長知の嫡孫)の影響を受け鳥類学研究の道に進んだらしく、黒田家と日常的な付き合いもあったようだ。正氏はいろいろとスキャンダルが多かったとも言われ、人物評の判断はともかくだが、アフリカ探検や自分で操縦する自家用機での日本脱出計画など、華族らしからぬ(後に爵位没収)奔放さは興味を引く。

 市街地は福岡と同様に城下町としての雰囲気はないが、城址には堀・石垣・庭園が残るほか、鷺の門(上部写真)が復元されている。城内の徳島城博物館には徳島城を再現した精巧で広大な模型があり、なかなかリアルだ。福岡藩と直接的な関係はないが、黒田家と蜂須賀家のご縁を思い浮かべれば、より親しみがわいてくる町である。

(2013年7月訪問)

 

f:id:kan-emon1575:20130714160613j:plain堀と石垣。福岡城の堀のハスが外来生物の影響で激減したとの新聞記事(日経)を読んだ記憶があるが、こちらはもともとないのだろうか。

 

f:id:kan-emon1575:20130714155937j:plain表御殿の庭園。石組みが見事。