読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

筑前黒田武士の江戸日記

~毎月第1土曜日更新~

vol.09 徳島城

f:id:kan-emon1575:20130714160740j:plain

【所在地】徳島県徳島市徳島町城内

【関連サイト】http://www.city.tokushima.tokushima.jp/johaku/

 

 先月、はじめて徳島を訪れた。蜂須賀氏25万石の城下町。「黒田家譜」によれば、天正12年(1584)、黒田長政蜂須賀正勝(当時播州龍野城主で徳島転封はその翌年)の娘を妻に迎えている。長政は慶長5年(1600)に徳川家康の養女栄姫と再婚しており、それまでに「故有て離別」したようだが、2人の間に生まれたお菊は、黒田二十四騎の一人である井上之房の次男庸名(5千石の幕府旗本となるも後に無嗣断絶)に嫁いでいる。

 13代徳島藩主の蜂須賀斉裕は将軍徳川家斉の実子であるから、家斉の実弟である9代福岡藩主の黒田斉隆は叔父にあたる(ただし斉裕の生年は斉隆の没後)。また、明治以降の当主である蜂須賀正氏は、鳥類学者として活躍した黒田長礼(最後の福岡藩主黒田長知の嫡孫)の影響で鳥類学研究の道に進んだらしく、黒田家と日常的な付き合いもあったようだ。正氏はスキャンダルが多かったとも言われており、人物評の判断はともかくだが、アフリカ探検や自分で操縦する自家用機での日本脱出計画など、華族らしからぬ(後に爵位没収)奔放さは興味を引く。

 市街地は福岡同様に城下町としての雰囲気はないが、徳島城址には堀・石垣・庭園が残るほか、鷺の門(上部写真)が復元されている。城内の徳島城博物館には、徳島城を再現した精巧で広大な模型があり、なかなかリアルだ。福岡藩と直接的な関係はないが、黒田家と蜂須賀家のご縁を思い浮かべれば、より親しみがわいてくる町である。

(2013年7月訪問)

 

f:id:kan-emon1575:20130714160613j:plain

 堀と石垣。福岡城の堀のハスが外来生物の影響で激減したと伝える新聞記事(日経)を読んだ記憶があるが、こちらはもともとないのだろうか。

 

f:id:kan-emon1575:20130714155937j:plain

表御殿の庭園。石組みが見事。