筑前黒田武士の江戸日記

~毎月第1土曜日更新~

vol.14 伊岐流槍術

 甲子夜話』に、「筑前黒田家の臣に、伊岐流と云ふ槍術を伝るものあり」との書き出しを見つけた(巻之十四/六)。筆者の平戸藩松浦静山林述斎から聞いた話で、述斎が入手した伊岐久右衛門の先祖についての書付を「神祖(徳川家康)の御用ひありし槍術と聞けば、貴重の念おこるまま」書き写している。 

 その書付によれば、柳生出身の伊岐遠江守真利は柳生石舟斎の「第一の御門弟」だったが、独自の槍術を極めて「伊岐流」と称し、信長、秀吉、家康と、時の為政者の上覧にあずかるほど、その名は知れ渡っていたらしい。孫が黒田家に仕えて、伊岐流は福岡藩で継承されていったようだが、分限帳を見てみると伊岐久右衛門の家禄はわずか13石3人扶持。出自や他藩の殿様の耳にも入るような知名度とのギャップが、何か興味深くもある。

 私の高祖父が残した「一代記」なる記録を読み返してみたら、少年時代の習い事、槍術の師匠は「伊岐平左衛門」。やはり伊岐流だった。余談になるが、「一代記」には他にも、剣術、馬術、砲術、軍学、さらに手習い、読書、舞、謡、小鼓といったものまで、お師匠の名が列挙されている。福岡藩はいろいろな分野のプロを擁していたということであろうが、これだけ多岐にわたると、習うほうも大変だったかもしれない。