筑前黒田武士の江戸日記

~隔月で第1土曜日に更新~

vol.18 黒田兵庫助

  毎週楽しみにしている「軍師官兵衛」。この大河ドラマ黒田兵庫助(小一郎利高)という人物が出ている。官兵衛の実弟黒田二十四騎の一人でもあるのだが、今のところ脇役に甘んじている様子。実際、栗山善助母里太兵衛らと比べると、インパクトのあるエピソードは多くはなさそうだ。 

 『国東町史』所収の史料には、関ヶ原の合戦時の官兵衛による豊後富来城攻めで(城主垣見一直は西軍として出陣し不在)、先陣の黒田兵庫が籠城勢による夜討ちで大きな損害を受けたこと、黒田伯耆(兵庫助の長男政成)が抜け駆けして攻め込み、返り討ちを受け官兵衛に叱責されたことなどが書かれていた。不名誉な話ではあるが、この頃までは黒田軍団の中核にあったのだろう。

 しかし、福岡藩成立当初は1万石という大身であったこの家も後代には1千石まで禄を下げ、席次も中老より下。文化2年(1805)には黒田小一郎利邑が秋月藩の姫君(黒田長舒の娘)を妻に迎えているが、この姫君は秋月藩家老宮崎家の養女として嫁いでいる(『新訂黒田家譜』)。黒田の一族でありながらも、支藩も対等な関係とは考えていないのだ。藩政においても表舞台で存在感を発揮しているような記録は見受けられない。

 こうして見てみると血筋のわりに地味な家系のようにも思えてしまうが、伝わるところによると、私の家とはいろいろご縁があるらしく、大河で少しでも兵庫助のセリフが出てくると、なにか嬉しくなってしまう。現代のドラマに再登場した黒田兵庫助の今後の活躍に期待したい。 

 

P.S.  vol.30を参照されたし。(2015/05/02)
http://kan-emon1575fukuoka.hatenablog.jp/entry/2015/05/02/234027