筑前黒田武士の江戸日記

~隔月で第1土曜日に更新~

vol.32 薩摩と筑前

 以前に書いたブログでコメントをいただいた(vol.02 小説のなかの黒田武士)。東京在住の私にとって、福岡藩関係の情報をいただけることは大変有難い。篤姫付の年寄幾島の出自に関するご意見だが、黒田長溥の実家である薩摩藩との関係で福岡藩の歴史を掘り下げてみるのも面白いかもしれない。 

 幕末の薩摩藩で起きたお由羅騒動は50名以上が処分された御家騒動だが、島津斉彬の大叔父にあたる黒田長溥(年齢は長溥が2歳年下)は、政争に敗れて薩摩を脱出してきた斉彬派の人たちを庇護し、薩摩藩からの引渡要求にも応じなかったのだそうだ。福岡藩にとっても一大事件だったと思われるこの出来事も、両藩の因縁浅からぬことを物語るものと言える。

 脱出組の藤井良節(井上出雲守)は薩摩藩からの捕り手の追跡を逃れ、福岡藩の手配により馬廻組の天野右仲邸に匿われたらしいが(『従二位黒田長溥公伝』)、私の高祖父は天野右仲の次男。当家の養子になるのは3年後の嘉永5年(1852)であるから、思わぬ珍客を迎え入れる場に居合わせたはずである。まだ9歳の少年だった高祖父の目に、どのように映ったのだろうか。緊迫した当時の状況を、いろいろ想像してしまう。

 『鹿児島県史料』には膨大な量の薩摩藩史料が掲載されているが、目次をたどると福岡藩に関係のあるタイトルも目につく。冊数も相当なものだが、今一度じっくり読み込んでいくと、また新しい発見に出会えそうだ。