筑前黒田武士の江戸日記

~毎月第1土曜日更新~

vol.36 丸亀城

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【所在地】香川県丸亀市一番丁

【関連サイト】http://www.city.marugame.kagawa.jp/sightseeing/spot/marugamejo/index.html

 

 先月、丸亀城を訪れた。丸亀藩京極家の居城であるが、8代福岡藩黒田治高の生誕地でもある。治高の実家は支藩多度津藩だが、当時の同藩は本家の丸亀城内に居所を構えていたので、治高も丸亀城で生まれたそうだ。1万石の小藩から52万石の太守。黒田家への養子入りは、治高にとっても悪い話ではなかったはずだ。両家とも宇多源氏佐々木流を称していた縁もあったのだろう。

 丸亀藩は6万石で秋月藩と同じくらいだが、城は秋月城よりはるかに大きい。小規模ながら天守(国指定重要文化財)がそびえたち、日本一高いといわれる高石垣も圧巻。もともと讃岐17万石を領有した生駒家の城だが、一国一城令による廃城の危機にも、要所要所を樹木で覆い隠して破却を逃れたという逸話が興味深い。

 天明元年(1781)2月に福岡藩主となった黒田治高は、5月に初めてお国入りし、家臣団への挨拶、領内視察、長崎巡見と積極的に公務に励むも、6月に病に倒れ(浮腫、手足の麻痺)、8月、福岡城内で亡くなった。私の先祖も法事に関わったようだが、『黒田家譜』には「温良にして大度あり、幼より儒学を好み給ひき、国中の士民大に哀傷し惜み奉りぬ」と記録されている。享年29歳。襲封して半年、在国わずか3ヵ月。あまりに早すぎる死であった。

(2015年10月訪問)

 

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丸亀城の大手口。櫓門が大手一の門、高麗門が大手二の門。寛文10年(1670)建築の一の門は、太鼓門とも呼ばれ、櫓で刻を知らせる太鼓が打たれたという。

 

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御殿表門と番所長屋。「玄関前御門」とも呼ばれ、藩主居館の表門だった。

 

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本丸から丸亀城下を望む。遠くには瀬戸内海、瀬戸大橋も見渡せる。私の先祖の記録によれば、参勤の途次に「讃岐金毘羅えも参詣」する機会があったようだから、このあたりにも来たことがあるかもしれない。