筑前黒田武士の江戸日記

~隔月で第1土曜日に更新~

vol.37 藩物語

 書店の歴史コーナーに並ぶ「〇〇藩」と題したシリーズ本。今夏、ようやく福岡藩にもお鉢が回ってきた。『シリーズ藩物語 福岡藩』現代書館)である。このシリーズは2004年の長岡藩を皮切りに順次諸藩の刊行が続いているが、福岡藩はまだかと待ち遠しいような思いもあったので、11年目にしての出番は何か嬉しい。

 ただ気になる頁が1箇所ある。掲載の「大音左京」とする写真。左京は幕末の中老である大音兵部厚運かと思うが、福岡県立図書館の寄託史料「黒田(立花・薦野・丹治)家文書」にある写真の人物とそっくり。しかしこちらは黒田山城(立花弾正増熊)とされる。アングルは違うものの、服装や脇差からも同じ人物の同じ日、同じ場所での写真のように見えるが、着物の家紋はいずれも「蛇の目」。大音家の「丸の内に大の字」ではなく、立花家の家紋なのだ。

 掲載の写真は、実は同じものを別の書籍で見たことがあり、以前から気になっていたが、こちらは大音青山とされている。青山(因幡厚剛)は勤王派の家老であり、佐幕派として身内ながら異なるスタンスをとった大音兵部とは別人である(「大音家系」によれば兵部は青山の甥で養子)。青山とされる写真は他にも火事装束姿で従者と撮影されたものがあり、これも兜の前立てが家紋の蛇の目のように見える。何かの過程で黒田山城の写真が、大音青山、さらに大音兵部と、混同されてしまったということはないだろうか。いずれも政局の表舞台で存在感を見せた藩の重役。真相が明らかになるとよいのだが。

 同じ頁には、「矢野邸」とされる長屋門の写真が掲載されているが、この写真は「Yahoo知恵袋」に「小川家長屋門」として投稿した方がいる。家老屋敷として申し分ない規模のものだが、果たしていずれの御家老なのか。蛇足ながら、なんと祖母の家にある私の高祖父の写真も掲載されていた(氏名の記載はないが)。有名人ではないながらも、書籍に載る機会をいただけたことは嬉しく有難いが、後々に人違いされることがないよう願いたい。

 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1498380494

 ↑ 矢野家か、小川家か。屋敷替えがあった可能性も考えられるか。