筑前黒田武士の江戸日記

~隔月で第1土曜日に更新~

vol.63 勤王と佐幕

 春分の日に休暇を合わせての二連休で福岡へ。「明治維新150年太宰府幕末展」を開催中の太宰府天満宮を訪れた。この日は「対決!幕末討論会」なる企画があり、幕末の福岡藩内で対立した勤王・佐幕の両派について、有識者がそれぞれの立場に分かれて公開討論。イベントごとなので、最後は司会の方が「両者和解」とうまくまとめていた。参加費無料ながら、宝物殿の拝観招待券と、できたての梅ヶ枝餅(美味しかった!)が来場者に配られる粋なおもてなし。思っていたよりも多くの人が来ていて、地元の関心の高さもうかがえた。

 いわゆる「勤王派」を中心に語られることが多い福岡藩の幕末史。大勢の人が粛清の憂き目にあった悲劇性もあろうし(乙丑の獄)、その後の幕府瓦解の歴史展開が、より彼らに肯定的な要素を与えているのかもしれない。一方で、粛清の背景には、藩の要人暗殺など勤王派の一部に過激な動きがあったことも事実であり、個人的には「佐幕派」とされた人たちの立場や考えについても、もう少し知ってみたい気はするが、もはや得ることができる情報は多くはなさそうだ。

 浦上数馬や久野将監といった佐幕派の中心人物について、諸史料に見る勤王派からの評価は、「俗論」、「姦物」、「奸党」などと手厳しく、明治維新という勤王派の最終的な勝利が、人物評を決定づけたようにも思うが、こんな証言もある。「今日生かして置きたいと云ふ者に久野一角(将監)と云ふ者がありまして、それから浦上九内(数馬)、我輩の為めには大変邪魔をした男であるが、屈指の有力者で議論も幾らか役に立った人物である」(『史談会速記録』第223輯)。福岡藩で勤王派として活動し、維新後は新政府のもと官僚となった早川勇の回顧談である。浦上・久野の両家老は、ともに勤王・佐幕の形勢逆転で切腹に追い込まれている。「勝てば官軍」。世の中、結局はそういうものなのだろうか。

 

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幕末展の翌日は、福岡城市民の会の市民フォーラムに参加。福岡城址をテーマパークのように盛り上げていこうという構想もあるようだが、本丸・二の丸については、景観にも配慮していただきたいと思う。