筑前黒田武士の江戸日記

~隔月で第1土曜日に更新~

vol.66 荒木村重

 日曜の大河ドラマが最近の楽しみになっている。お昼の方の「軍師官兵衛」(再放送)である。キャスティング、ストーリー展開、音楽、なかなか秀作ではないかと、改めて思う。見ていて、ふと自分の間違いに気付いた。過去のブログで、コメントをいただいた方に、「荒木村重の子を黒田で引き取るシーンを思い出しました」などと返信していたのだが、そのようなシーンはなかった。敗者の子を官兵衛が引き取るシーンはいくつかあったので、混同していたようだ。ブログとして世に発信している以上、記述の正確さには気をつけねばと、反省した次第。(vol.57 朝倉の黒田武士

 荒木村重の子と言えば、信長による荒木一族処刑の際、村重の妻だしが幼いわが子を乳母に託すシーンはあった。生き延びた幼児は実在。長じて岩佐又兵衛を名乗り、高名な絵師として活躍しているが、やはり史実としても、黒田家の厄介にはなっていないようだ。ただし、福岡藩士になった荒木一族は実在する。福岡藩初期の分限帳に「荒木十左衛門」(千五百石)の名があり、「黒田家譜」によれば、この人は村重の甥(荒木元満)。流浪の生活を経て黒田家に仕え(2人の兄は信長により処刑)、その後、長政の推挙で将軍徳川秀忠に召し出されたのだそうだ。子孫は代々直参旗本(千五百石)。「黒田家譜」の記述は、「荒木氏、代々黒田家をしたふは此ゆへなり」と結んでいる。

 この荒木家の家系を「寛政重修諸家譜」で見てみると、元禄赤穂事件の際、赤穂城明け渡しの検分に赴いた目付の荒木十左衛門大石内蔵助らの切腹では検死役)が当主として記載されており、その弟の善左衛門元忠は「松平筑前守が家臣となる」とあった。善左衛門の名は、元禄期の福岡藩分限帳に見られ(五百石)、この家は馬廻組として幕末まで続いている。官兵衛を陥れた荒木村重ではあるが、その一族と黒田家とは、後々まで縁のある間柄であったようで、興味深い。村重にしても、大河ドラマで描かれたような、官兵衛の盟友としての一面もあったのだろうか。もっと詳しく知ってみたくなる人物である。

 

 

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 大阪府池田市池田城跡公園(建物は模擬櫓)

 荒木村重はこの池田城の城主摂津池田家に仕えていたが、下剋上で主従逆転。「軍師官兵衛」に村重の家臣として登場した荒木久左衛門は、本姓池田で元は主君の立場だ。余談ながら、我が家はこの池田家の家老の次男筋と伝わる。村重と関わりがあったのだろうかと興味がわくが、実情は不明。