筑前黒田武士の江戸日記

~隔月で第1土曜日に更新~

vol.75 福岡城下で暮らす

 年明けに福岡へ行ってきた。福岡市博物館の企画展示「福岡城下で暮らす」にも寄ってみたのだが、展示されていた「筑前名所図会」を見て、ふと気付いたことがあった。「浄念寺円応寺」と題した風景画、よく見ると、福岡城下ノ橋付近の武家屋敷も描かれている。「筑前名所図会」は翻刻本(文献出版)も出ており、目を通したことはあるが、黒田武士の福岡城下での暮らしが思い浮かぶようなこの一枚は見過ごしていた。

 絵の中の武家屋敷は、ほぼ同時期の城下絵図を参照してみると、右手から大名町御堀端の小川権左衛門邸(中老2,000石)、黒田惣右衛門邸(筋目1,300石)、荒戸通町の吉田六郎太夫邸(中老5,000石)、建部孫左衛門邸(大組700石)と思われる。小川邸は長屋門が海鼠壁とリアルな描写。建部邸は長屋門や主屋の形状が、別途展示されていた屋敷図面と一致しているようにも見える。実際の風景を忠実に描いたものではなかろうか。当時の我が家もご近所であり、興味深い発見だった。

 福岡市博物館ホームページの解説によれば(「描かれた筑前」)、著者である奥村玉蘭は博多の商家の生まれで、当時のガイドブックとも言える諸国の名所図会に触発されて、文政4年(1821)、筑前の町や名所旧跡を絵入りで紹介した「筑前名所図会」を完成。しかし、あまりに詳しすぎるため藩に刊行を許可されず、稿本のまま残された図会が世に知られたのは近年のことなのだそうだ。藩政期の福岡城下の絵や古写真が限られるなか、貴重な史料だと思う。

 福岡の中村学園大学のホームページに、「筑前名所図会」の一部が公開されているのを見つけた(貝原益軒アーカイブ)。前述の絵はないが、通町の黒門付近を描いた一枚には、大川喜左衛門邸(馬廻組400石)の長屋門、森半兵衛邸(同500石)の門構えと主屋が見て取れる。その他の絵も一つ一つ見ていくと、福岡城下での暮らしに我が身を置いたかのような気分にもなる。ウェブで見れるとは便利な時代だ。このコロナ禍、しばらくは歴史探訪の旅に出ることは難しいだろう。ステイホーム。パソコンで情報収集にいそしむとするか。

 

f:id:kan-emon1575:20200111113527j:plain福岡城上ノ橋付近の堀端にて