筑前黒田武士の江戸日記

~隔月で第1土曜日に更新~

vol.79 青天を衝け

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 通勤経路上にある東京商工会議所のロビーに、次作の大河ドラマ「青天を衝け」を紹介するコーナーが出現。初代会頭が渋沢栄一ということで、さっそく盛り上がっているようだ。渋沢栄一徳川慶喜の物語をパラレルに展開させるというストーリー設定には興味をひかれ、とても楽しみにしている。渋沢役がやけに若いイケメンで、イメージが合っているだろうかという気もするが(むしろ慶喜が適任?)、ぜひ好演を期待したい。

 福岡藩関係者で、渋沢栄一徳川慶喜のご両人とご縁のあった人物がいる。福岡県士族の家に生まれた歴史家の藤井甚太郎だ。藤井の家は旧藩では知行600石の大組。太政官札贋造事件の責任を負って処刑された大参事の立花増美は伯父にあたる。県立中学修猷館、熊本五高を経て東大に進み、大学院では徳川季世史を専攻したこともあってか、師の萩野由之(後に次女佳珠子と結婚し岳父)が監修した『徳川慶喜公伝』の編纂に参画。これは渋沢が旧主慶喜の事績を記録するために企画した一大プロジェクトで、渋沢の兜町事務所や飛鳥山邸、あるいは慶喜の小日向邸などに渋沢はじめ関係者一同が集まって、編纂メンバーによる慶喜本人への聞き取り調査が度々行われたという。

  「昔夢会」と銘打った会合でのインタビューは、『昔夢会筆記』にそのやりとりが記録されているが、その中身はというと、「藤井:薩州の態度につきまして、よほど御前が御懸念あらしったということでありますが。」、「公(慶喜):いや、薩州はあの節は少しも疑うことはない。全く会桑と一緒になって、あれ(長州)を討つという方になっていたのだ。」(禁門の変についての会話の一部)という具合で、読んでいて臨場感がある(この時、藤井甚太郎28歳、慶喜73歳)。後年、藤井は史談会の例会において、「直接維新の歴史を承りまして、実に驚きました。この徳川慶喜公といふ御方は、これは容易ならぬ偉い御方であるぞ」と、老年ながらも聡明な語り口の慶喜を振り返っている(『史談会速記録』第136輯)。

 先日、慶喜実弟である徳川昭武が隠居後に暮らしたという松戸のお屋敷(戸定邸)を見に行ってきた。昭武は将軍慶喜の名代としてパリ万博に参加したことでも知られる最後の水戸藩主。戸定邸には慶喜も度々訪ねてきたそうだ。隣接する戸定歴史館では、平成10年(1998)に「最後の将軍 徳川慶喜」と題した企画展が行われているが、その時の展覧会図録には「昔夢会筆記と藤井甚太郎」と題した解説も掲載されていた。「昔夢会」を通してつながる一人の黒田武士と渋沢栄一、そして徳川慶喜。来月の大河ドラマがますます待ち遠しくなってきた。

 f:id:kan-emon1575:20201228193122j:plainドラマのキャストやストーリー、渋沢の事績などを紹介するパネルを展示。

 

f:id:kan-emon1575:20201211161824j:plain松戸の戸定邸(国指定重要文化財)。玄関は意外と簡素でこじんまり。

 

f:id:kan-emon1575:20201211160131j:plain洋風の技法を用いた庭園(国指定名勝)が見渡せる表座敷。

 

f:id:kan-emon1575:20201211160233j:plain後に昭武の実子徳川武定が子爵となって興した松戸徳川家の本邸として使われた由。