筑前黒田武士の江戸日記

~隔月で第1土曜日に更新~

vol.81 天真寺

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【所在地】東京都港区南麻布3-1-15

 

 2回目の緊急事態宣言が解除され、利用再開となった都立中央図書館に向かう途中で、南麻布の天真寺へ。前回の祥雲寺と同様、江戸での黒田家の菩提寺として武鑑にも記載のあるお寺だが、ホームページは開設されていないようで、寛文元年(1661)に黒田綱政開基というウィキペディアの情報程度の知識だけで、ふらっと寄ってみた。

 本堂は現代風で古いお寺という雰囲気はなく、お寺の由緒を説明しているようなものも見あたらず、黒田家に関するヒントは得られないまま、お寺の墓地へ足を運ぶと、何やら大きく立派な墓碑。近寄って見てみると「乾龍院殿前筑前国太守少将」と刻まれている。没年の嘉永4年(1851)でピンときた。江戸で亡くなった黒田斉清蘭癖大名としても知られる殿様だ。塀で囲われ門も施錠されていて墓域には入れない。表札のようなものもないので、傍目には福岡藩主の墓とは誰も気付かないだろう。 

 隣りにも同じように囲いで中に入れない墓所。こちらも大きな墓碑があり、外側からの角度では正面がよく見えないが、かろうじて「前肥州」という文字が読めた。側面にある没年は延享元年(1744)。肥前守を称し、やはり江戸で死去した黒田宣政の墓と推察。何か謎解きのような楽しさもあった、ぶらり散歩であった。さて、3回目の緊急事態宣言発令。図書館もまたもや休館。長引くコロナ禍で、大手を振って福岡へ行けるのも、いつになることやら。

(2021年4月訪問)

  

f:id:kan-emon1575:20210410163847j:plain黒田斉清墓所。墓碑は写真左手。裏手にある一般の墓地には、三河刈谷藩土井家歴代の墓も並んでいた。

 

f:id:kan-emon1575:20210410163520j:plain「乾龍院殿前筑前国太守少将」より下は石の表面が削れてしまっているようだ。 かろうじて「利」らしき文字が見えるが、斉清の戒名「(乾龍院)利山道見」と続くのだろう。

 

f:id:kan-emon1575:20210410164204j:plain黒田斉清の墓(奥)の隣りには、「火」や「水」の文字を刻んだ五輪塔(手前)。遠方には六本木ヒルズが見える(墓所裏手の柵越しに撮影)。

 

f:id:kan-emon1575:20210410162428j:plainお寺の駐車場では山桜が満開。後から気付いたのだが、「黒田家譜」によると我が先祖、祥雲寺にも天真寺にも殿様の代参で来たことがあったようだ。