筑前黒田武士の江戸日記

~隔月で第1土曜日に更新~

vol.84 浦安の藩邸遺構

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【所在地】千葉県浦安市堀江4-14-2

【関連サイト】http://www.dairenji.jp/guide/

 

 福岡藩に関係するキーワードでネット検索する情報収集をたまにやっているが、最近の新発見が大蓮寺東京ディズニーランドのある浦安市のこのお寺に、なんと福岡藩江戸屋敷の遺構が移築されているというので、さっそく行ってみた。東西線浦安駅から歩いて約5分。天文13年(1544)開基という浄土宗の古いお寺だ。

 黒門と称する裏門。お寺のホームページによれば、これが福岡藩より拝領した馬検所の門とのこと。300年以上前のものだそうだ。屋敷の正門とかではないので、規模は小さく簡素ながら、我が藩ゆかりの建築物ということで特別なものを感じる。黒田藤巴の御紋でもあれば一段とテンションも上がるところだが、福岡藩との関係を思わせるようなものは特になく、建材も新旧入り混じっているように見えた。

 あまり詳しい情報は得られず、どういう経緯で大蓮寺が譲り受けたのか不明だが、ふと浦安の先には行徳や船橋があることに気付いた。かつてブログ(vol.07)でも取り上げたが、戊辰戦争で官軍に加わった福岡藩旧幕府軍と激戦を交えたのが船橋、陣を敷いたのが行徳だ。浦安にも福岡藩の軍勢が通っていたかもしれない。その時に何か縁ができたのではなかろうか。根拠はないが、そんな想像をしてみた。

 ちなみに戊辰戦争と言えば、「青天を衝け」渋沢成一郎が各地を転戦する シーンが思い出されるが、なんと『従二位黒田長溥公伝』にその名を見つけた。肩書きは一橋家の用人。幕末の京で福岡藩とも親密な関係だったらしく、在京重役の大音兵部に宛てた密書なども掲載されている。あの喜作が思った以上に政治的なキーマンであったことに驚いたが、我が藩とのご縁も意外。大河ドラマを見ながら、もう一人の渋沢にも、より親しみがわく今日この頃である。

(2021年9月訪問)

 

f:id:kan-emon1575:20210923163359j:plain大蓮寺の黒門。手前の柱は結構古そうにも見える。『千葉県の歴史散歩』(山川出版社)にも「筑前黒田藩の江戸屋敷の門を移築」とあるが、霞ヶ関上屋敷か、それとも溜池の中屋敷か。藩邸遺構としては貴重だ。