筑前黒田武士の江戸日記

~隔月で第1土曜日に更新~

vol.90 最後の仇討

 

 テレビでもよくやっているような「ぶらり散歩」よろしく、都内唯一の路面電車である都電荒川線で荒川方面へ。住宅地のようなところを走っていると、ひときわ目立つ立派な建物が見えてきた。何だろうかとスマホで調べてみると、吉村昭記念文学館吉村昭さんの小説は結構好きだが、こんな施設があったとは知らず、思わず荒川二丁目の停留所で途中下車して訪ねてみた。

 出身地の荒川区が計画した記念館構想には、税金が使われることに吉村さんが難色。最終、公共の施設内の一角であればという御遺志が尊重され、5年前にホールなども備えた複合施設「ゆいの森あらかわ」として開館したのだそうだ。1階にはカフェ、エスカレーターをあがっていくと図書館。その一角に吉村さんの展示室があった。入口で目に入ったのが「遺恨あり」のポスター。なんと10年近く前にブログ(vol.02)でも取り上げたテレビドラマ。吉村さんの小説「最後の仇討」が原作で、舞台は秋月黒田藩だ。

 「最後の仇討」含め著作『敵討』に収録された2篇を紹介する企画展(「吉村昭が描いた敵討」)がちょうど開催されていたところで、なかなか興味深い展示だった。「最後の仇討」は藩内の政争により自宅で両親を惨殺された臼井六郎が主人公。13年越しに本懐を遂げた仇討は実話である。明治元年となる年(1868)、秋月藩の重役だった父の臼井亘理守旧派の一団に寝首を掻かれたが、襲撃側はお咎めなし。逆に臼井家は自業自得として減知処分。何しろ裁定に強い影響力のあった家老が襲撃側の組織の総督なので、非情な展開もさもありなん話だ。その無念を晴らした執念の復讐劇は衝撃的ではあるが、発端となったテロ事件に、ガバナンスの欠如の怖さというものを考えさせられもした。

 朝廷や薩摩藩とパイプを持ち、外交面で活躍した臼井亘理。守旧派の計略で京都での任を解かれ帰藩を命じられた彼の身を案じ、「宗藩である福岡藩でも、執政の立花左衛門が臼井帰藩の命令を撤回させる、という動きもあった」旨が小説には書かれている(結局、帰藩して暗殺)。『新訂黒田家譜』に彼の名が出てくるのは、わずかに一箇所(「従二位黒田長溥公伝」下巻)。暗殺前の慶応4年(1868)3月、団平一郎ら福岡藩の在京要人を招いた秋月藩主催の懇談会の記録に、参加者として「臼井亙」とあるだけだ。懇談会については「交誼を温め、併せて秘密の談話を交ゆ」と記されている。支藩の不穏な動きに福岡藩はどう関わったのか。今後、調べてみたいところである。

 ところで、今回のブログは海の上での更新。3年近くぶりに福岡を訪れ、船中2泊のオーシャン東九フェリーで東京に戻る途中だ。昨日出港した門司は、臼井六郎が刑期を終えた後に妻女と饅頭屋をやっていたところでもある。穏やかな波に揺られながら、久々に「最後の仇討」を読み返してみようかと思う。

 

展示室に再現された吉村さんの書斎。本棚には歴史書が多い(『五卿滞在記録』もあった)。写真撮影OKの表示には、SNSでの紹介を促す一文も。ネットで話題になる利点で、館内撮影可とする博物館も増えたようだ。