筑前黒田武士の江戸日記

~隔月で第1土曜日に更新~

vol.70 備前岡山

 10連休となった今年のGWは、史跡巡りの旅で岡山を訪れたが、天保6年(1835)、私の五代前の先祖も使者として岡山藩を訪ねたことがあったらしい。黒田家と池田家は姻戚の関係もあるが、当時の岡山藩池田斉敏は島津家出身で(島津斉彬実弟)、同じく島津家出身の黒田長溥(前年に福岡藩主襲封)は大叔父にあたる(年齢は同い年)。家伝の史料には、「備前岡山表江御返礼御使者被差越候事」とあって、出立前の拝領物、さらに「供廻」が記載されているのだが、この「供廻」が随分たいそうな行列で、はじめて目にしたときには聊か驚いた。 

 台弓1人、釣具足3人、挟箱4人、先道具2人、以上を「先行列」として、それに続く5人の陸士の後に、先祖は駕籠かき6人の駕籠に乗っていたようだ。駕籠の周りには6人の侍、その後には草履取2人、鑓・挟箱・長柄・傘各1人、口取2人の牽馬、沓篭1人、押2人、合羽篭3荷、竹馬3荷等が続く、総勢四十数名の行列。我が家のレベルだと、日常の供廻は数人程度だろうが、やはり公用ともなると、藩が人員を手当てして威厳を持たせてくれるのだろう(行列の末尾には「留守居」や「取次」の記載もあるが、こちらは同行した直属の家臣か)。先祖も殿様にでもなったような、気分のいい旅だったのではなかろうか。

 GWの旅行ではそんなことを思い出し、約200年ぶりの再訪を気取って、岡山の駅前を少しぶらついてみたら、意外なものを見つけた。「黒田五十二萬石」「浦上」と書かれた大きなボードを建物の壁に掲げたお宅。我が藩の浦上御家老とご縁があるのだろうか。「御家人先祖由来記」によれば、浦上御家老の先祖は備前戦国大名浦上宗景の一族。岡山はまさに旧縁の地だ。大河ドラマ「軍師官兵衛」では、若き日の官兵衛が想いを寄せた女性(おたつ)が浦上家に嫁ぐシーンがあったが、この浦上家は宗景と対立の末に分裂した兄浦上政宗の家で、ドラマで描かれたように赤松政秀によって攻め滅ぼされている。

 思わぬボードを目にして、ふと浦上氏について手元のスマホでキーワード検索してみたら、「浦上家史編纂委員会」なるホームページを見つけた。浦上宗景の子孫にあたる備前鴨方藩浦上玉堂の画家としての事績を、浦上氏の歴史と併せ、『浦上家史』として編纂する作業が進められているのだそうだ。宗景系ということは、筑前の浦上御家老も同族。宗景は家臣だった宇喜多直家下剋上で城を追われ没落したが、子孫は備前で、筑前で、脈々と続いている。黒田武士となった一族のことも、いずれ刊行される「家史」で目にすることができたら嬉しいが。 

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GWの旅行で訪れた足守藩家老屋敷(岡山市