筑前黒田武士の江戸日記

~毎月第1土曜日更新~

vol.42 栗山大膳

 先週の日経新聞「文学周遊」(土曜夕刊に連載)は、森鴎外の短編小説「栗山大膳」。主君黒田忠之を諌めるために幕府に訴えるという究極の手段に出た栗山大膳について、「時に苦言を呈しながらも、善政に導く理想的な部下を描いているように思える」としたうえで、「現代の企業統治にも一石を投じる命脈の長い佳作である」と評している。譜代の老臣としての意地を見て取れるが、どこまで意地を貫き通すべきか決断が難しいのは、当時の武士社会も現代のサラリーマン社会も同じだろう。

 小説の方は、概ね「黒田家譜」に沿った展開だが、大きく違うのは佞臣として描かれる倉八十太夫のその後。忠之は本領安堵、大膳は盛岡藩お預けで騒動決着の後、黒田家を辞した十太夫について、どちらも島原の乱に参加したとしているが、「黒田家譜」には鎮圧に向かった旧主黒田忠之の陣営に馳せ参じたとある一方、鴎外の小説では「耶蘇教徒の群に加わったが、原城の落ちたとき乱軍の中で討たれた」としている。後者は物語としての創作のようにも思えるが、いずれにしても十太夫なりの意地であったと言えるかもしれない。

 蛇足ながら、黒田家が御家断絶の危機を回避した一方で、当時の我が家に一大事が起こっていたようだ。当家の系図によると、「忠之公御勘気を蒙り逼塞、右の内病死、之に依って家断絶」。浪人となった息子がやはり島原に馳せ参じて、帰参を許される働きを見せたらしいが、待遇が気に入らず他家に仕官しようとしたところ、「忠之公御立腹遊ばされ、呼下し切腹仰付けに相成候」。家老中のとりなしで一命を拾い、その息子の代に帰参は叶ったが、殿様の厚意を無視するとは、10代だった若さゆえの無鉄砲か、それとも亡父の名誉のために見せた「意地」であったのか。