筑前黒田武士の江戸日記

~隔月で第1土曜日に更新~

vol.68 太宰府で恋を

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 「太宰府で恋を」。東京の地下鉄駅構内で、ドキッとしてしまうようなキャッチコピーが目に入った。東京メトロ西鉄ANAの合同企画「きんしゃい福岡×おいでよ 東京 スタンプラリー」のスタンプ台そばに掲示された太宰府観光協会のポスター。右半分は太宰府天満宮、左半分は竃門(かまど)神社である。有名な天満宮の陰に隠れがちだが、宝満山にある竃門神社は縁結びの社とされ、ポスターいわく「女性たちの知られざる聖地」らしい。

 竃門神社の歴史は古く、福岡藩との関係も深い。福岡藩の分限帳には、社領として「五十石 竃門神社 楞伽院」とある。この楞伽院(りょうがいん)は、藩主黒田光之が側近の藤井甚太郎(勘右衛門高任)の弟(奈良一条院の僧侶)を座主職に任命し、楞伽院兼雅を名乗らせたことにはじまる。兼雅は中興座主とされ、以降明治に至るまで、楞伽院は二十五坊からなる神仏混淆宝満山を統括する立場にあったようだ。

 宝満山山岳信仰の霊峰で、楞伽院は修験者。いわゆる山伏である。福岡藩では中老格(大組格とする史料も)の待遇を受け、年始の藩主直礼を許されていたという。福岡城には祈祷でも度々訪れており、楞伽院率いる70~80名規模の神輿行列は、城下でも衆目を集めたようだ。我が家は楞伽院とご縁があり、屋敷にも立ち寄ってくれたと幕末の高祖父の記録にはある。明治維新後、神仏分離の宗教政策のため、楞伽院は山伏をやめ竃門神社の神職となり、藤井姓に復したのだそうだ。

 廃仏毀釈によって修験の面影はほとんど残っていないが、その歴史的背景が評価され、 平成25年(2014)に国指定史跡となった宝満山。竃門山とも称され、現代では登山コースとしても知られる。標高829メートル。「春は萌え 秋は焦がるる 竃門山」の句は、清少納言の父が歌ったものといわれる。美しい山の景観、360度見渡せる山頂からの眺望、いずれも見事であろう。スタンプラリーには間に合わないが、一度行ってみたいと思っている。決して下心はないが。

(参考:森弘子『宝満山の環境歴史学的研究』)

 

【竃門神社ホームページ】

http://kamadojinja.or.jp/

宝満山国史跡指定について】(太宰府市

http://www.city.dazaifu.lg.jp/admin/soshiki/kyoiku/175/349/788/6194.html

宝満山登山案内】(太宰府市

http://www.city.dazaifu.lg.jp/material/files/group/24/68282558.pdf#search=%27%E5%AE%9D%E6%BA%80%E5%B1%B1+%E7%99%BB%E5%B1%B1%27

 

f:id:kan-emon1575:20190218190718j:plain福岡・東京でスタンプを制覇すると素敵なプレゼントが、という観光振興の企画。3月10日まで開催。

 

f:id:kan-emon1575:20190218190627j:plain「女性たちの知られざる聖地」だそうである。