筑前黒田武士の江戸日記

~隔月で第1土曜日に更新~

vol.74 加賀百万石

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 昨年秋、北陸新幹線開通後はじめて金沢を再訪。成巽閣を訪ねると「侯爵前田家の夫人展」なる企画展示が行われていた。ふと黒田家から前田家に嫁いだ女性がいたことを思い出し、展示品の中にその女性の写真を発見。前田利建侯爵夫人となった前田政子さん。鳥類学者として知られた黒田長禮博士の長女で、母君は閑院宮家の出、祖父は福岡藩最後の殿様である黒田長知公だ。企画展の資料によれば、昭和9年(1934)に東京の前田家駒場本邸で結婚式が行われ、披露宴は帝国ホテルで約180名、東京会館で約650名が招待されたそうで、「品格、健康、学力等ともに抜群として推挙された政子と前田家世子利建の結婚は、両家において稀に見る良縁として喜ばれました」との説明もあった。

 東京に戻ってから駒場旧前田家本邸を訪ねてみた(上部写真)。前田家が旧加賀藩江戸屋敷のあった本郷から駒場に移ったのは昭和5年(1930)。当時からの建物は平成25年(2013)に国の重要文化財に指定され、ありし日の侯爵家の暮らしぶりを伝えている。駒場本邸の和館で結婚式を挙げた前田利建・政子夫妻は、同じ駒場に建てられた新居で暮らした後、昭和16年(1941)に本邸に合流。太平洋戦争がはじまったこの年、利建さんの父君である前田利為陸軍中将はボルネオ守備軍司令官の辞令を受けて赴任地へ旅立ったが、飛行機はボルネオ沖で墜落し、帰らぬ人となった。出征直前の前田中将を中心に、利建・政子夫妻など前田ファミリーが勢揃いした写真が展示されていたが、何か物悲しさを誘う。戦後、駒場本邸は連合国軍に接収され、しばらくアメリカ極東軍空軍司令官の官邸として使われたそうだ。華やかさの中にも、何か激動の時代を彷彿とさせるような、そんなお屋敷であった。

 さて、話は金沢に戻るが、兼六園では期間限定のライトアップが行われていて、夜の時間帯はエリア限定ながら入園が無料。隣接する金沢城公園でもライトアップが行われていて、夜の闇に浮かび上がる櫓群がとても幻想的だった。かつて金沢大学のキャンパスとなっていた金沢城址は、大学の郊外移転後、城の本格的な復元整備が着々と進み、今年は二の丸御殿復元についても、いよいよ基本方針が策定されるようだ。平成26年(2014)に整備計画(「国史跡福岡城跡整備基本計画」)が発表された我らが福岡城の復元でも参考になりそうだが、現在の進捗はどんな感じだろうか。 

 

f:id:kan-emon1575:20200224131209j:plain前田家本邸洋館の玄関広間。

 

f:id:kan-emon1575:20200224130852j:plain1階の客間。黒田侯爵家が訪ねてきたこともあったろうか。

 

f:id:kan-emon1575:20200224141739j:plain利建・政子夫妻が結婚式を挙げた前田家本邸和館。

 

f:id:kan-emon1575:20200224140859j:plain隣接する洋館に比べるとこじんまりしているが、外国からの賓客に日本文化を伝えるための空間として設計された由。

 

f:id:kan-emon1575:20191112201011j:plainライトアップの金沢城。左から菱櫓、五十間長屋、橋爪門続櫓(いずれも平成13年(2001)に復元)。福岡城の武具櫓とイメージが重なる気がした。