【所在地】東京都渋谷区広尾5-1-21
【関連サイト】https://shouunji.or.jp/
気分転換に近くで少しの外出をと、白羽の矢を立てたのが祥雲寺。黒田忠之が父長政を弔うため溜池の中屋敷に立てた寺を起源とする、江戸での黒田家の菩提寺だ。武鑑で目にするので名前は知っていたが、広尾駅のすぐ近くだったとは。都立中央図書館に行くときの下車駅なのに、長年まったく気付かずにいた。
本堂の裏手が広い墓地となっており、ひときわ目立つ大きな墓碑群の一画が黒田家の墓所。その中でも黒田長政の墓は建物で覆われていて、別格の感があった。長政の墓は福岡の崇福寺にもあるが、江戸で亡くなった黒田一族は、ここに埋葬されている人が多いようだ。明治に直方黒田家を再興するかたちで分家した黒田長和男爵家の墓もあった。
子供の頃、墓地は怖い場所でしかなかったが、この歳になってみれば気持ちが穏やかになる空間だ。墓は言わば故人が生きた証。お参りに来る人たちの姿や、家族の思いが込められたような墓碑には、人の温かさを感じたりもする。広尾にはもう一つ、天真寺という黒田綱政が開基した寺がある。これも不勉強で今さら知ったのだが、都立中央図書館に近いようだ。緊急事態宣言で休館中の図書館が再開したら寄ってみようかと思う。
(2021年2月訪問)
祥雲寺の本堂。福岡藩の分限帳によれば、同寺には安永9年(1780)から年々米100俵の寄付を行っていたようだ。
門を構え、建物で覆われた黒田長政の墓。左手には黒田一族の墓碑群が立ち並ぶ。
黒田長政の墓は渋谷区の指定史跡。正面からは標柱が隠れてしまっているのが残念。
秋月黒田家の墓所。墓碑に俗名はないが、「前甲州」を含む戒名が多い。代々甲斐守を襲名した藩主のものだろう。
黒田長政の墓の入り口そばに、女性の戒名の墓。側面には「福岡県士族隅田」(姓に続く名は「衣」?)とある。明治30年(1897)没で享年が49歳。最後の藩主黒田長知の側室だった隅田氏だろうか。
黒田家の墓碑は、正面に戒名、右側面に没年、左側面に月日が刻まれる。黒田長政の墓の横にある石垣は、よく見ると墓碑が転用されているようだ。右側面なのか、寛文の年号。