筑前黒田武士の江戸日記

~隔月で第1土曜日に更新~

vol.82 昔夢会

 徳川慶喜を特集していたNHKの歴史番組「歴史探偵」(「謎の将軍 徳川慶喜」)を見ていたら、なんと年明けのブログ(vol.79 青天を衝け)でも取り上げた『昔夢会筆記』が、「徳川慶喜のインタビュー集」として紹介された。しかも画面に映し出された原刻本は、ちょうど藤井甚太郎慶喜がやりとりしている頁。あたかも自分のブログをテレビで再現してもらえたかのようにも思えて、嬉しくなった。

 渋沢栄一が企画した徳川慶喜の伝記編纂のため、藤井甚太郎ら編纂員による慶喜本人への聞き取り調査の場として度々催された昔夢会。慶喜自らが決めたという昔夢会(せきむかい)という名は、昔のことを夢のように思い出すということなのか、あるいは昔に夢見たことを思い返すということなのか。何か感傷めいたものを感じさせる。その成果たる『徳川慶喜公伝』の刊行は大正7年(1918)。慶喜死して、その5年後のことだ。序文には「その御喜びの眉を開かせられるのを拝するを得たならば、著者の名を署する私、および編纂の責任者その他の人々は、どれほど嬉しかろう」。渋沢の思いが伝わる一文ではあるが、25年の歳月を経て結実した全8巻に及ぶ大作は、歴史書としての価値を十分なものにすべく、丹念に時間をかけて作業が進められたということなのかもしれない。 

 少し前に、王子の飛鳥山公園で開催中の大河ドラマ館へ行ってきた。ややこじんまりしたものではあったが、毎週楽しみにしているドラマなので、オープニングの音楽が聞こえてきただけで気分が昂った。さて、今回の大河ドラマでの我が藩の出番はどうだろうか。「福岡の黒田長溥と高島秋汎だけが、異国と交易をすれば日本にも利益があり、寛大な心で異国を受け入れてはどうかと意見した」。幕閣が外交方針で広く意見を求めたことについて、北大路欣也さん演じる徳川家康が語ったナレーションを、私は聞き逃さなかったが(第四回「栄一、怒る」)、思わず期待した黒田長溥の登場は、残念ながら実現ならず。それにしても、ドラマでナレーターを務める家康公も、「外様が意見するなど、私の頃には考えられん話だ。まあ、時代というものですな」と、しみじみ話していたが、新時代の局面で存在感を示した長溥公、その後の展開次第では教科書に名を残す存在にもなっていただろうか。いろいろタラレバが頭に浮かぶが、いや、歴史のイフは考えるまいか。 

 

f:id:kan-emon1575:20210416151803j:plain北区飛鳥山博物館に開設された大河ドラマ館。『昔夢会筆記』や『徳川慶喜公伝』の原刻本は、隣接する渋沢史料館に展示されている。 

 

f:id:kan-emon1575:20210416150129j:plain大河ドラマ館に展示されていた年表。『徳川慶喜公伝』の刊行は、渋沢栄一が78歳の時のこと。晩年のエピソードとして、大河ドラマでの再現なるか(?)。

 

f:id:kan-emon1575:20210703115226j:plain谷中墓地にある徳川慶喜の墓。帝国ホテルでの『徳川慶喜公伝』完成披露会に先駆けて、渋沢栄一慶喜の墓前で献呈奉告式を開催。


f:id:kan-emon1575:20210703115026j:plain左が慶喜、右が美賀子夫人の墓。献呈奉告式には藤井甚太郎ら編纂関係者13名のほか、徳川慶久慶喜の継嗣)、徳川家達(徳川宗家当主)など徳川一門の人々が出席。墓前で慶喜への感謝の思いを熱く語った渋沢のスピーチは、出席者の涙を誘ったという。